犬も夏バテ

JUGEMテーマ:今日の日記

 

このところミニチュアダックスフントのJanisは、ものを食べるか水を飲む時以外は、フローリングの上でたまに位置を変えながら、ゴロゴロと寝てばかりいる。これまでは部屋の中を走り回ったり、遊んでくれとせがんでいたのにー 長い毛皮を着ているのですっかり夏バテしたようだ。

 

Janisは間もなく9歳になる。まだかわいい顔をしているのに老犬の部類に入るらしい。狂犬病の注射に行ったら、この子は心臓肥大気味であるといわれた。散歩は控えめにしている。

 

前程食欲がなくなってきた。これまで軽々とジャンプして飛び乗っていたソファーへの着地に、たまに失敗するようになった。

 

唯一、昼寝のあとおやつがもらえるので、その時だけは尾を振って猛ダッシュしてアピールする。こんな元気はまだあるのである。

 

先日1日だけ、おやつもせがまないような日があって心配したが、次の日はそれほどでもなかったので安心した。

 

まだ足元はしっかりしており、吐き下しをすることもないので体調自体は維持できているようだ。ただ高齢化してきたので、見かけはともかく老化現象が進んでいるには違いない。飼い主と同様にー

 

秋風が吹き始めるころには、もう少しこれまでのJanisらしい活発な犬に戻ってくれることを期待している。まだ5年はガンバレるよ!

 

飼い主も夏バテから回復し、犬との長寿比べとゆこう。

 

 

| コラム | 06:30 | comments(0) | -
はやわかり「三州奇談」 下

 

 加越能の奇談集、『三州奇談』とは何かについての最終回である。

 

『三州奇談』読むには、なにかのきっかけが必要である。石川・富山両県に住む人にとっては、現在生活している地域の、またすぐ近くの話がでてくるので、そこから入る方法があろう。

          

 本書でとりあげた、金沢駅から近い浅野神社、卯辰山麓の玄門寺(観音院)、夕日寺奥の伝燈寺、河北潟縁の木越などの各話は、筆者の住む金沢北部が舞台で、身近な場所の話であり、そうしたものはすすんでとりあげた。

 

 これらの場所は、子供のころ遠足に行ったり、鮒釣りにでかけた所であり、また散歩コースとして、人生をつうじて、それぞれがなじみの深い場所である。

 これらの話から伝わってくるのは、これまで聞いたことがない、思いもよらない伝承と史実である。『三州奇談』を読めば身近にあった奇談を楽しむことができる。

 

『三州奇談』の魅力をいくつかくわえておきたい。各話は、加越能各地の伝承・伝説と関連する歴史を語っているが、いずれも虚構と事実を織り込んだ物語である。

 

 麦水が仕込んだ虚実をどうとらえるか、これが『三州奇談』を読み込む際の鍵がある。単なる奇談集ではないのである。

 そこには当時、表立って語ることをはばかられた事件を巧みに挿入したものがある。当時と今との史観の相違も感じることができる。

 多くの話を読み込むにつれ、各話の横のつながりも視野に入ってきて、さらに別の視点や広い視野から隠されていた姿がみえてくることがある。

 

 したがって、これを読むには歴史史料や絵画史料、地誌、昔話の分野まで、さまざまなアプローチの方法がある。キーワードをみつけだして、その史資料集めの作業は多岐にわたるが、目的とするものを発見する楽しみは格別である。

  

 さきにみたように『三州奇談』は、正編と続編一四九話からなっているが、簡単に読みこむことは難しい。ゆっくりと読むこの本は「無尽蔵の宝庫」といえる。 

 

 全体をつかむためには、個人の力ではあきらかに限界がある。『三州奇談』の存在を知り興味を持った各位が、これをきっかけに『三州奇談』の各話を読み解いてくだされば幸いと考える。

 

 最近また、泉鏡花が読まれているようだが、『三州奇談』との関係を探り出典を求める研究もさらに広がりを見せるだろう。

『三州奇談』を読む醍醐味は、怪異の面白さにふれることは勿論だが、そこに入りこむことによって歴史の側面を探りだすことができることである。つまり怪異譚から出発して、当初は予期できなかった史実に到達することができるのである。

『三州奇談』を、近世史の世界へいざなってくれる隠された入口のひとつとしたい。

 

 3回にわたって『三州奇談』について述べてきた。これを機に是非『三州奇談』の世界へー

 

                                              おわり

| 奇談 | 06:06 | comments(0) | -
今年はこんなお盆だった

JUGEMテーマ:おでかけ・散歩

 

 

今年のお盆が終わった。日本人にとって盆は正月とともに生活の大きな区切りとなっている。

 

盆と正月の違いは、正月が型にはまったように過ぎてゆくのと違い、盆の行動は年によってバラエティに富んでいることだと個人的に思っている。

 

ゆえに今年のお盆のメモを取っておくことにする。

 

横浜にいる娘が10日に帰ってきて17日に帰ったが、こんなに長くいたのは珍しい。このようにまとまった休みがあると、イギリスにホームステイに出かけているからだ

 

その娘は金沢に帰った翌日、妻と一緒に甥(娘の弟の子)を二人連れて京都の水族館に日帰りで出かけて行った。

 

残されたその日、廃線になった東京の都電のことが気になっていたので、図書館に行って調べてきた。学生時代は都電39番路線(早稲田−厩橋)の伝通院前から早稲田を利用していた。安藤坂を下って大曲にでて、江戸川(神田川)沿いの線路であった。

 

停車場の一部を忘れたので、確認した。

伝通院−大曲−東五軒町−石切橋−江戸川橋−鶴巻町−関口1丁目−早稲田車庫−早稲田であった。懐かしいどころではない。20分はかからないほどのところだ。もっと学校に行っておけばとー

 

外間の姉の子(甥)が金沢郊外で家を買ったので、それを見がてら鶴来という町まで足を延ばした。大した距離ではないが結構遠く感じたドライブだった。

 

別の日、妻の実家の墓参りに加賀平野の真ん中まで出かけた。

 

16日には自分の部屋の模様替えをした。1年ちょっと住んで少し変えてみようと思いつき、机・本棚とベッドの位置を逆にしてみた。引っ越しの時大幅に減らした本だが、それでも移動に汗をかいた。今のところ変えてよかったと思っといる。

 

本はあまり読めなかったが、漱石の「それから」だけは読み終えた。唐突な終わり方だと思っていたが、今回はそのようには思わなかった。

 

17日夕方に娘を送り出して、今年の盆は終わった。

 

 

  切子提げ加賀金沢の墓参  大橋越央子

 

| コラム | 06:31 | comments(0) | -
夏の夜回り

JUGEMテーマ:普段の生活

 

 また夜回りが回ってきた。午後9時頃、拍子木を打って夜回りに出た。旅の人が珍しいものを見るような顔をして通り過ぎた。

 

 1か月経つのは早い。町内は35世帯ほどなので月に1回、年間11回ほど当番がまわってくるのだ。雨の日や雪の降る日が登板となると厄介だ。

 

 そんなことでこの夜回りは、はたして効果があるのか、やらなければならないのかという気持ちに月1回は襲われる。

 

 以前住んでいた町では、今はやっていないが50年ほど前には夜回りをしていた。拍子木と共に金棒を地面に当ててジャリンジャランと音を立てて歩いていた。これは一人では無理、二人掛りだった。同時に「火の用心」と声を上げていた。相当時代がかった光景である。もっとも今でも火の用心と声を出す人は2、3人いる。

 

 ところでこの夜回りは、火の番、夜番、夜警のことで、俳句では冬の季語である。つまり夜回りは冬のものなのだ。

 昔は冬、火事が多かったので火の用心のために夜回りをしたのである。江戸時代には各町ごとに火の番を雇っていたという。

東京で夜回りが残っているところはあるのだろうか。

 

  本所松坂町の夜番の柝なりけり 岩崎健一

 

 冬に火事が多かったので、冬の間夜回りをしたというのは道理にかなっている。では当時、ほかの季節もやっていたのであろうか。夜回りが冬の季語に収まっているからには、夜回りは冬季限定だったと考えるのが順当ではないかと考えるが自信はない。

 

 よってこの町の夜回りも冬季だけとするのが妥当ではないかといってしまうと、やりたくないという気持ちが見透かされそうだ。

 

 ただしまれに拍子木の音が気持ちがいいほど響き渡る夜があり、先月は絶好調だった。そんな時は家に帰って、よい酒が飲める。

 

 タイトルに夏の夜回りとつけたのは、夜回りとはそもそも冬季のものらしいと思うからである。

 

 余談だがこの町の夜回りに出る時間は、8時半から9時過ぎが大半で、10時頃の人は数人、逆に7時台にまわる人も数名いる。10時の人は夜回り賛成派、7時台の人は反対派ではないかと、勝手に妻といい合っている。

 

 

 

| コラム | 06:46 | comments(0) | -
はやわかり「三州奇談」 中

 

 加越能の奇談集、『三州奇談』についての続きである。

 

 つぎに『三州奇談』がどのように読まれたかをみておこう。

まず柳田国男の目にとまっていた。たとえば「熊谷弥惣左衛門の話」(『一目小僧その他』)には次のようにある。

 

「話は吾々が尊敬する泉鏡花氏の御郷里から始まります。加賀国は鏡花門徒の吾々にとって、また一個のエルサレムの如き感があるが、この地方の舊いことを書いたものに、「三州奇談」といふ一書があって、すでに活版になっております。その中に金沢城外浅野山王権現境内のお稲荷さまのことが書いてあります」。

 

 浅野神社の稲荷の由来を述べるのは、『三州奇談』の「浅野の稲荷」だが、柳田はこの話をとりあげ、全国の熊谷稲荷の由来を展開するのである。ここからは柳田と鏡花のつながりの一端をうかがうことができる。

 

 柳田は『三州奇談』に関心をよせ、本書からたびたび引用している。そのはずで柳田国男・田山花袋校訂による『校訂近世奇談全集』(博文館1909)があり、ここには『新著聞集』、『老媼茶話』、『想山著聞奇集』とともに『三州奇談』の正編・続編がおさめられている。柳田は鏡花との会話にくわえ、この校訂をつうじて魅力を知ったのであろう。

 

「浅野の稲荷」については、地元の小倉学の研究があり(『加賀・能登の民俗』小倉学著作集第三巻瑞木書房2005)、同氏は主として民俗学の見地から考察している。

 

『三州奇談』へのアプローチは、民俗学とならんで文学の分野からもなされている。泉鏡花研究者によるものであり、鏡花がここから小説の題材をとりあげ、それをもとに物語を創造しているからである。その意味で鏡花研究に欠かせない書のひとつとされる。

 

 この分野では、小林輝冶の「鏡花と三州奇談」(「金沢大学語学文学研究」、「北陸大学紀要」)があり、「袖屏風」や「木の子説法」との関連などに言及している。

 また最近では、秋山稔の『転成する物語』(梧桐書院二〇一四)があり、「素材を換骨奪胎して多くの固有の物語を創り上げた泉鏡花の作品の成立背景を検証」するもので、『三州奇談』の本文から作品本文に転成する過程を検証し、その実態と意義を解明しているものである。

 このような『三州奇談』だが、歴史分野から研究対象としたものは、まだなされていないようだ。これは同書が単なる「奇談集」として認識されているからではないかと思う。

 

 私が『三州奇談』を知ったのは、リタイア後金沢大学に科目等履修生として黒田智教授のゼミに入ったが、そのテキストが『三州奇談』であったことによる。この奇談集が歴史学とどう結びつくのかを考えるスタートであった。

 

 研究は個別の話の読み方について、とくに翻刻された文を現代語訳にする際には、丁寧に読み込むことが基本であると強調された。さらに各種のデータベースの使い方では、たとえば東京大学史料編纂所による『加賀藩史料』の項目別検索を知ったことにより、史料の量や幅が飛躍的に増大した。ゼミでは二話の論文を作成したが、教授の指摘や学生との議論がのちに役立ったことはいうまでもない。

 

 黒田ゼミには二年間お世話になったが、その後石川郷土史学会会報への投稿などをしているうちに10話がまとまり、1冊の本にまとめた。

 その後も各話の現代語訳を続けている。

 

                                            つづく

 

| 奇談 | 06:00 | comments(0) | -
新パソコンに移行

JUGEMテーマ:普段の生活

 

お盆で帰ってきた娘が、新しいパソコンのセッティングをしてくれたので、新しいパソコンに移行した。いくつかの難関があり、ただ見ているほかなかった。

 

 

買い替えのきっかけは、キーボードの故障だった。Gの文字が無効となり、「が」と打っても「あ」となってしまう。はじめはミスタッチかと思っていたが、しばらくしてやっと気が付いた。外付けキーボードをつけて使用していたが、やはり違和感があった。

 

Gの一文字がいかによく使われているか、改めて分かった。Dellから修理の見積もりをとると、2万数千円もするとのことで、年月が経っていることもあり、買い替えに踏み切った。

 

前と同スペックの機種だが、本体は薄くなり、やや大振りになり、重量もズシリとくる。キーのストロークが短く、EnterとBackSpaceがかなり小さく、変わったなという実感がある。

 

Windows7から10へ変わったのをはじめ結構変更点があり、慣れるまでには少し時間がかかることは覚悟している。幸い一部7に近い設定に変更してくれたこと、娘が帰るまであと二日ほどあるので質問ができるので、ブログは何と書けそうだ。

 

大したことはやっていないがパソコン依存症にかかっているので、前のパソコンが予備として使えることは心強い。

何より新しい道具を使うのは気分がいいものである。

当分はこれをカチャカチャやって、時にイライラしつつも楽しんで使ってみたい。

 

 

| コラム | 06:17 | comments(0) | -
はやわかり「三州奇談」 上

 

 堀麦水の『三州奇談』は加越能の奇談集で、ときどきブログでとりあげている。いわばライフワークのようにやっている。

 『三州奇談』とは全体どういうものであるのかについては、1年ほど前に紹介しているが、ここでもう一度『三州奇談』のあらましを3回にわたり記したい。いささかでも興味のある方の参考になればと思う。

 

『三州奇談』とはどのような書で、その面白さはどこにあるのか、またこの本と出会ったきっかけや、研究を思いたった経緯から始めたい。 

 

 まず『三州奇談』はどんな書物であるのか。これは加賀・能登・越中、三国の奇談を集めたもので、成立は宝暦から明和(十八世紀半ばすぎ)とされる。石川県図書館協会版は、正編九十九話、続編五十話からなっており、一話読み切りものである。

 構成は、加賀の南の大聖寺に始まり、金沢・能登・越中の順に奇談が述べられており、多少のかたよりはあるが各地域の話が網羅されている。

 

 奇談とは文字通り、珍しい、ふしぎな話のことだが、狐狸や天狗、妖怪など妖怪が登場するもので、各種の怪異を集めたものである。各話には各地域の伝承・伝説が奇談のかたちで語られ、これに史実が組み合わされて一編をなしているものが多い。

 

 ここで重要なのは、ほとんどすべての話に地名と年号が記されていることである。これによりそれがどの地域のことなのか、いつごろの時代のことかがわかり、伝承がどのような史実と結びついているのかを考える大きな手掛かりを与えてくれる。地名と年号は、この書を歴史学の分野から研究することを可能にするキーワードなのである。

 

 つぎに『三州奇談』の作者堀麦水(1718〜1783)のことである。麦水は加賀国金沢・竪町の蔵宿の生まれで、俳諧師・随筆家として活躍し、江戸・京坂にも流寓した地方知識人の一人である。

 

『三州奇談』にはもととなる種本があったとされる。

『三州奇談』校訂者の日置謙はつぎのように述べる。

 

 酒井一調の「根無草」に住吉屋次郎右衛門が話を集めたとあるが、それは事実であろうが、その種本なるものはきわめて貧弱なものであっただろう。

 つづいて『三州奇談』の内容は、甚だしく荒唐無稽のことのみのように思われるが、それは麦水自身のねつ造にかかわるものではなく、そうした奇説恠談が民間にあったのを採集したことに本書の価値が認められ、存在の理由がある。

 

 これをいいかえると、各話からは近世の人々がなにをみていて、それについてどのように考えていたかを読みとることが可能だということになる。

 これはほかの史料とはひと味違う特徴的なことであり、郷土の伝承歴史文化を研究する文献のひとつとされる由縁なのである。

 

 つづいて麦水の業績・才能について『石川県史』の「国学」からみよう。

 

「宝暦・明和を中心として堀麦水あり。奇才縦横行く所として可ならざるはなく、その本領は俳諧に在りといへども、傍ら指を著述に染めて慶長中外伝・寛永南島変・昔日北華録(略)、又三州奇談、越廼白波の如き郷土的雑書あり。筆路何れも暢達にして毫も苦澁の跡を見ざるもの、蓋し加賀藩に於けるこの種の作者中前後にその比を見ること能はず」。

 

 

 

 この『石川県史』の編纂は日置謙であるが、日置は同書の「俳諧」でも、麦水と千代女とを比較して、「世人の評価以上に手腕を有したるは樗庵麦水なり」としている。

 日置は麦水の多才・多芸を絶賛しているが、なかでも『三州奇談』の著作編纂でその「奇才縦横」ぶりを十二分に発揮したといえよう。

                                            つづく

 

| 奇談 | 06:04 | comments(0) | -
孫の帰省

JUGEMテーマ:幸福に生きる

 

お盆の帰省である。TVニュースでは毎年同じように、高速道路の渋滞30キロとか乗車率150%とかと報じている。

 

盆と正月、帰省の分散ができればこんなことはなくなるのだが、なかなかほかの時期に、まとまった休みはとれない。思えば窮屈な社会である。

 

帰省の風景でうらやましいと思うのは、親に連れられた小さな子供が、ふるさとの駅に着いたとき、ホームで待つ祖父・祖母の腕にまっしぐらに飛びこんでゆく様子である。

孫たちは一年に2、3回しか会うことのない年寄りをよくも覚えていて、それどころか最大級の喜びを表現しているのをみて、正直うらやましい。

 

私には2人の孫がいるが、近くに住んでいる息子夫婦の勤めの関係で、月〜金は小学校と保育園に迎えに行き、我が家で夕食をだしている。毎日顔を合わせているのである。

 

献立を考えて料理する妻は大変で手がかかるが、同時に子供たちがいればこその賑やかさや笑いがある。

 

しかし毎日のように顔を合わせているので、帰省のホームで見るような爆発的な喜びの表現は、残念ながら味わうことはできない。

孫と一緒にいることは日常であり非日常。ハレではなくケなのである。

 

ということで、帰省の風景を年々うらやましくテレビで見るようになってきた次第なのである。一度でいいから経験してみたいが、尋常なことではかなえられそうにはない。

 

 

  帰省子に腹ばふ畳ありにけり  生田恵美子

 

 

| コラム | 06:30 | comments(0) | -
花火のはかなさ

JUGEMテーマ:今日の日記

 

夏の夜といえば花火。各地で年中行事の一つとして開催されている。

 

石川県でも金沢や川北町をはじめとして各市町で、新聞社主催で行われている。花火大会をするには相当なお金がかかりそうだが、これをどのように手当てしているのかは知らない。現地では、つぎの1発は〇〇社の提供などとアナウンスがあるとも聞いたことがあるが、そんなことではスポンサーが満足するとは思えない。

 

金がかかるということは、したがって花火大会は不滅ではないことがわかった。金沢では7月末の土曜は北國新聞が、次の土曜には北陸中日新聞のそれぞれ主催で行われていたが、今年は北陸中日の大会がなかった。聞く所によると前年で終了したのだという。費用対効果の関係か知らないが、寂しい気もする。

 

花火好きがいて、毎年最前列に寝転んで、まじかで花火をみたり、火薬のにおいをかいだり、轟音を聞くのを楽しんでいる人たちがいる。打ち上げ地点の近くにいないと、気の抜けた花火になってしまうという。

 

金沢のラーメン屋の夫婦もその仲間で、いつも興奮して花火見物の話をしていたが、今年はもう行かないといっていた。

 

なんでも去年、あの長岡の大花火をわざわざ見に行ったそうで、そのスケールの大きさに度肝を抜かれてしまって、それ以外の花火は花火ではないといいだしていた。

 

気持はわかる。花火のイメージを一変させられたのだから。ゆえに毎年は行けない長岡大会は見なければよかったともいう。

 

 

幸い私は長岡の花火はBSでしかお目にかかっていないし、遠くから見るだけでよいので、地元の花火で満足している。

花火は大きければいいというものでもなかろう。

 

儚い花火がある。

花火といえば必ず、芥川龍之介の「舞踏会」を懐かしく思い出す。日本の17歳の令嬢と仏蘭西の海軍将校が、鹿鳴館で開かれた舞踏会で出会い淡い恋をするという短編小説だ。

ダンスをした後で、バルコニーに出ると花火が上がっていた。花火を見て令嬢は、悲しい気を起こさせる程、それほど花火を美しく思った。

一方の海軍将校は沈んだ調子で「私は花火の事を考えていたのです。我々の生のような花火の事を」と、教えるような調子で言った。

 

真っ暗な空に花火がひとつ開く、美しく鮮やかである。しかしそれは一瞬のことで、そのあとにはまた暗い空がそこに残るだけである。考えてみれば、人の命も花火のようにまばたきする間の儚いものだ、暗い夜空にあらわれたと思ったらすぐに消え去ってしまうー

 

フランスの海軍将校は、儚い恋の予感を覚えたが、花火の儚さに人生を重ねあわせたのだ。1

 

花火は一面華やかで賑やかなイベントである。だが半面悲しいような、人生の姿を潜ませているのである。

 

花火は大なるがゆえに尊いのではないと、地元の花火大会を擁護しておきたい。夏は男性的だとされるが、別の面ももっているのだ。

 

| コラム | 06:30 | comments(0) | -
漱石自身が最も愛した「門」

JUGEMテーマ:読書感想文

 

漱石の「門」を読んだ。6回目くらいにして、初めて少し読むことができた。

 

日本の作家では漱石が一番好きで、その漱石の作品では、「こころ」や「猫」ではなく「門」を最も好んでいる。

なぜそうなのかと聞かれると、地味な小説ですが、サスペンスのようなところがあり、文体に俳味があり、自分の人生観に共鳴する部分があるからだと答えてきた。

 

今回読んで、派手さがないが、随分と起伏にとんだ構成であることがわかった。決して地味ではない。次への展開のために、次々と伏線が張られている。

 

主人公は親友を裏切ってその妻と結婚し、罪の意識から世に背を向けて暮らし、崖下の借家にひっそりと住んでいるとの設定だ。が、人の世はなかなか静かに暮らすことができず、次々と来る小さな波が大きな出来事につながってゆく。

 

主人公は盗難事件で崖の上の大家とのつながりができて以来、いくつかの偶然の末にあやうく、裏切った友人に出合いそうになる。万事休すかというとき鎌倉へ参禅に逃げるのだ。その偶然に主人公は苦しみ、腹立たしく「暗い夜着の中で熱い息を吐く」のだ。

 

江藤淳の漱石論には、「谷崎潤一郎は、『門』を理想主義的な夫婦愛の小説として読んだ」という一節がある。

勿論そういう読み方もあるが、私は少し違い、静かな生活を求めつつ、ひっそりと世間から縁を切って暮らそうとする主人公に惹かれる。

「彼等は山の中にゐる心を抱いて、都会に住んでゐた」とのフレーズが印象的だ。

 

さらにwebを散策していたら、「日本人が知らない夏目漱石」(ダミアン・フラナガン)という本に、漱石がもっとも愛していた作品は「門」だったという文章があった。晩年の漱石が、弟子の松岡譲に、そのように語っていたというのである」との一文に接した。そうかもしれないと思った。

 

今回、私の中で「門」はますます面白い姿を見せてくれた。次に読むときにはまた新たな一面を見せてくれるだろう。

 


| 読書 | 06:35 | comments(0) | -