自宅で京都のラーメン

家の昼食は麺類と相場が決まっています。少しでも家事の手伝いをしようと、たいがい私が作っています。

毎日、蕎麦、うどん、ラーメン、そうめんと麺づくめです。

 

このうちラーメンは一番たくさん種類があります。いろいろ試した結果、この1年くらいの1位は、京都ますたにです。

 

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銀閣寺口にある小さな店ですが、大学のころ友人後この店の近くに住んでいて旨いラーメンがあるものだと覚えていました。大阪支社に転勤中もわざわざ京阪電車に乗って、数回訪ねました。

 

金沢に帰ったからも京都にはよく出かけていますので、何回かはるばる「ますたに」まで行って列についたものです。数年前から京都駅に出店しています。

 

3年ほど前でしたか、金沢の平和堂アルプラザでこの袋物・なまを見つけ、狂喜しました。以後月に2回ほどは食べています。

 

スープは背脂鶏ガラ醤油、麺はストレートの中細です。

スープの味は店とほとんど同じで感激ものです。

値段は300円前後、飽きの来ないコクがあります。

 

 

これを食べたあとは妻と一緒に、必ず旨いうまいといいあっています。

細かく切ったねぎをトッピングするだけでOKなのです。

 

昼食の麺でこのまるたにラーメンのほかに、もう一つ旨い越前そばがあります。写真を撮って紹介しようと思っています。

 

この二つが、わが家の昼食麺の2018版東西の横綱であります。

 

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| 食べる | 17:00 | - | - | pookmark |
味噌が腐る

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曜の朝、阿川佐和子の「サワコの朝」をたまに見ています。結構いいゲストが出てくるからです。

 

前回日のゲストは大泉洋でした。ドラマなどで見慣れた俳優ですが、そんなに詳しくはしっていません。

北海道の出身で幼少期から才能があり、やがて見いだされ上京したようです。

 

彼が中学校の頃の話として語っていた下りです。

サザンオールスターズの「Oh!クラウディア」が大好きで、2階の自分の部屋で大声で気持ちよく歌っていると、下にいた祖父が「味噌が腐るぞ」と叫んできたそうです。

 

味噌が腐る、久しぶりに聞いた言葉だなと懐かしがっていたのですが、スタジオではなんのことかわからなかったようで、一瞬シンとしました。

 

 

大泉洋は、北海道では下手な歌を歌うと味噌が腐るというのです、と説明して一同納得して笑っていました。

 

金沢でも祖父や祖母は歌を聴いては、みそが腐るような歌やとよく言っていたものです。とくに音程が外れたたりして、下手な歌を聴いたときに発します。あるいは「糠味噌」といっていたかもしれません。

私は全国的に通用する言葉だと思っていたので、意外な感じがしました。 

 

みのもんたのケンミンショーでも、この地方料理は地元民なら誰でも知っており、全国誰でも知っていると思っていたのに、知らないの、というシーンがしばしばあります。もっとも番組のほうで、必死になってそんなことを探しまわっているのですが。

 

 

「下手な歌を歌うと味噌が腐る」、これはどうしても全国区の言葉だと思うのですがー

軽いカルチャーショックを感じた土曜の朝でした。

 

| コラム | 07:00 | - | - | pookmark |
サプリメントで100歳

 

面白い番組探しを地上波テレビでやっても、簡単にはありません。ではとBSをサーチすると、これも同様ですが若干見るに堪えるものがあります。

今はありませんが寅さんものとか、月曜夜の高橋克典司会の日本に住んでいる外国人の紹介もの、これはBSジャパンでしたか、あと2、3はあります。

 

 

BSのCMには長尺物が多くありますが、そのほとんどがサプリメントです。

 

高血圧、高脂血症、肝機能や夜トイレに起きる回数が多い人はといった、病気の改善に結びつくようなものがあります。

 

また若さを保つためのサプリやシミそばかす対策、化粧品など美容に関するものがあり、例えばこれを使うと70歳の人が40代に見えるという内容です。

 

これらのCMの内10種類ほど飲めば、医者いらずで、100歳までは今の若さのままで生きられそうな妄想にとらわれます。だって映像を見ているとそう信じたくなります。

 

 

 

医者は必要なくなったのでしょうか。いやいやー

 

「私、失敗しないので」。主人公の外科医が、こう歯切れよく断言するテレビドラマがあります。こんな医者が身近にいたらなあと思います。

 

しかし実際の医師や病院がCMや看板で「絶対安全」をうたうことは絶対にありません。それは「絶対安全な手術」は医学的に存在しない。そうした手術をするといえば嘘になり、したがって法律違反になるからで、CMに使うなどもってのほかです。CMは最上級を使う表現はいけないそうです。

 

報道によると、5月1日に改正医療法が施行され、従来の広告だけでなく、ネット上のウェブサイトなども規制の対象に加わったという。

「絶対安全」といった嘘や誇大な宣伝文句はもう許されないのです。

個人の体験談も主観的な情報なので使えません。

「手術前・手術後」を比べた写真も、リスク面などの説明なしで掲載することはできなくなりました。

 

患者の病院選びはかえって難しくなり、患者は嘘を見抜く目を磨かなければなりません。

 

医師や医療機関がこうですから、繰り返されるTVCMをみて感心しているばかりではいけないようです。

もっとも視聴者の真偽を見抜く目は、相当確かになっているようですのでー

 

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| テレビ | 07:00 | - | - | pookmark |
人気の能登七尾城

中世の城 絵図

 

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全国的にお城ブームらしい。かつては姫路城など国宝で形の麗しい城が人気だったが、いまは土塁や堀のあとだけがかすかに残っている山城に人気が及んでいるという。

 

この「お城ブーム」に乗って、能登の国指定史跡「七尾城跡」(石川県七尾市)は、戦国時代屈指の巨大な山城として観光客の注目を集めている。

 

石川県七尾市にある七尾城跡の観光客は、4月から数千人を越えるという。地元メディアより中央の情報によって、七尾城のひそかな人気ぶりを知った。巨大で急峻な城は、山登りをする感覚だったと覚えている。

 

七尾城は天然の要害として軍事的機能を備えていた役割に加え、重要な政治支配機能を担える環境に立地していたのである。

 

戦国期末の七尾城主・畠山義総のもとへは多くの公卿・歌人・連歌師・禅僧など京都の文化人たちが相次いで下向しており(七尾市史)、独自の文化を形成して、七尾城は金沢にさきがけて文芸活動の拠点として栄えたのである。

 

山城は規模がそれほどではないことが多いが、七尾城は巨大な山城であり、本丸の標高は305mである。中学生のころに行ったが、ちょっとした登山であった。

 

戦国時代に上杉謙信がここを攻め滅ぼし、その後は加賀藩祖の前田利家が城主になった。日本100名城や日本5大山城の一つに数えられ、自然石を使った野面積みの石垣が残る。ここには歴史的なロマンが形として残されている。

 

謙信は漢詩「九月十三夜」で、「越山併あわせ得たり能州の景」と詠んで絶賛したといわれ、本丸から七尾湾を望む眺めで一献傾けたらしい。

 

本丸への道には急勾配のところもあり、堀切り跡、二の丸跡などを歩くには1時間以上はかかるが、首都圏からの観光客には見晴らしがいい、自然が豊かだと好評である。泊りは七尾からすぐに和倉温泉がある。ここは万葉の世界である。

 

現地では観光ガイド・「はろうななお」が案内してくれる。

 

3年前金沢で山城のシンポジウムがあり春風亭昇太がパネリストとして参加していた。もちろん「笑点」の司会になる前のことである。

城、とくに山城が好きだというが、最近は歴史のテレビ番組にも出ており、なかなかーパネリストととしての城に関する発言も素人離れしていた。

 

この昇太が七尾城跡を見たらどんな感想・反応を見せるのだろうか、みてみたい。

 


| 歴史 | 00:14 | - | - | pookmark |
名古屋城エレベーター見送り

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5月末、石川県の地方紙「北國新聞」に小さなベタ記事がありました。

 

名古屋城エレベーター見送り

名古屋市は30日、木造復元する名古屋城天守閣へのエレベーター設置を見送ると発表した。障害者団体は設置を要望していたが、史実に忠実な復元を強く主張する河村たかし市長意向を反映した形(略)

 

名古屋の新聞の扱いは大きかったと思いますが、城の忠実な復元とは何かを考えさせられるニュースです。

 

 

金沢城石垣

 

去年、滋賀県立大学の中井均氏の「城の復元は必要か」という講座を聴く機会がありました。名古屋城エレベーター見送りの記事を目にして、その時の講座を思い返しました。

 

その時に名古屋城の例が出てきたのですが、当時名古屋城では、鉄筋コンクリートの天守閣を解体して、木造で復元することを検討中でした。その後議論があった末、木造に決まりました。

 

その議論とは、金はかかるだろうが木造なら本物だから歴史的にも価値があるので、金の工面がつけば木造にすればよいのではないかと、そういうのがあったそうです。私などもそんなふうに漠然と考えていました。

 

ところが中井氏は、鉄筋コンクリートが偽物というのであれば木造もまた偽物なのである(本物ではないという意味で)。

それは本物の模型であり、1/1の模型は、はたして必要なのだろうかと。

 

いわれてみれば木は本物・コンクリートは偽物という前に、後世に建て直したものは、すべて本物の模型といえるものだったのです。

 

さらに鉄筋コンクリートに寄せた先人たちの思いは、安価で簡易だからそうしたのではなく、二度と燃えさせてはならないとの強い思いがあったからでもあるとします。太平洋戦争で焼失した名古屋城は、そんな思いをもつ市民らの寄付で再建されたのです。

 

住民のシンボルとしてのかけがえのない天守閣の先例もあります。

大阪城の復興天守閣は昭和6年に大阪市民に寄付により造営されて86年、国登録文化財に指定されました。鉄筋コンクリートであっても、時の経過とともにやががては国登録の文化財に登録されることになったのです。

 

 

日本で創建当時からの姿を残す歴史ある城は、国宝5城(重文7城)にすぎません。

城の数は200〜300あるとされていますが、主として戦後に再建された城は、先の定義でいえばすべて模造、もしくは模型ということになります。

 

特に城のシンボルは天守閣ですが、それを建て替える、または部分的に手を加えるとなると、模型であっても慎重に慎重を重ねなければならないことになります。本物に近い模型をつくろうとなります。

 

 

ひるがえって金沢城をみますと、天守閣は創建後早々3度火災にあって、その後は天守なしで経過しています。

木造で復元されているのは五十間長屋や河北門などいくつかに建造物です。すべて木造の本物志向であり100年後の国宝を目す指すというスローガンがあり、また大工の工法を未来に継承するためとの大義を聞いています。

 

 

しかし中井氏の話を聞いて、名古屋城などだけでなく金沢城の復元作業をどのようにみたらよいのか、そこに批判的に見る目もでてきたような感じがします。ただし観光という面では、金沢城の建物の果たす役割は文句なく、訪れる人も多く気持ちのいい景観を作りあげています。

 

観光と割り切れば本物も偽物もないようでなのです。

 

城についての知識をさほど持つものではありませんが、名古屋城とエレベータからいろんな方面に思いが広がりました。

城を見る面白さを一つ、講座から教わりました。

 

| 観光 | 07:00 | - | - | pookmark |
百万石まつり最終日

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百万石まつりの最終日、余韻を楽しもうと出かけました。家の前の行列に参加した馬の待機所となった公園を通ると、やは

 

り糞尿の匂いがほのかにしてきました。

 

城の北側の大手掘りはひっそりと静か。時々見かけるカワセミが飛んできそうな雰囲気でした。

 

 

 

3日の百万石まつりは、金沢城内三の丸広場で「盆正月」の催しがあるので、それを目当てに出かけたのです。

 

金沢の盆正月というのは、藩政期に藩主前田家で嫡子が生まれたり、官位昇進などの慶事があった時に町をあげて祝ったことにちなむ催しです。

 

三の丸の一角にステージがあり、五十間長屋をバックに演奏などを行っていましたが、午後2時ころはそんなに人出はありませんでした。

 

 

近くでは火縄銃鉄砲隊の演武がありましたが、20分ほど待ち時間があったのでパス。30度近くあって暑かった!

 

 

クラシックカーフェスティバルがあって2000年以前の珍しい、懐かしい車が並んでいました。

 

昔乗っていたスカイラインGTも並んでおり、すごい車に無鉄砲に乗っていたものだと思いました。若さというものはとてつもないものだと、いまにしてわかりました。

 

 

 

香林坊近くの中央公園を通りましたが、公園の滝がいかにも涼しげでした。

 

 

仙石町の通りはずらりと露店が並んでいました。石川県内の店が全部集合したように。

押し合いへし合いの状態で、ここが一番まつりらしい活気と匂いにあふれているところでした。

 

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| 金沢 | 07:00 | - | - | pookmark |
快晴の百万石まつり

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きのう2日は、快晴のもと百万石行列、金沢百万石まつりのメインイベントです。

 

行列の出発式は午後2時から金沢駅東広場であり、3時ころ駅をスタートし、メインストリートを通って金沢城に入るのは午後5時過ぎとなりました。

 

 

 

3時半過ぎ金沢駅近くのリファーレ前で見物しました。

 

 

お目当てはお松の方と初代藩主利家。

初代藩主前田利家と、正妻松の役は毎年俳優がつとめます。

今年は高橋克典と羽田美智子が演じました。

 

 

 

行列の構成はこうなっています。

先導隊、音楽パレード、ミス百万石、加賀とび行列、尾山神社御鳳輦(ごほうれん)、子供奴行列、珠姫お輿入れ行列、大人奴行列、お松の方行列、四代、五代藩主行列、加賀八家老行列、前田利家入城行列、赤母衣衆(あかほろしゅう)

 

私は最後の部分をちょっと見に行ったことになります。

行列が出発して間もなくのリファーレ前のあたりで、行列はもう渋滞気味。

城にたどり着くのは大変でしょう。

 

高橋克典の利家は、カブキモノの一面が前面に出てかっこよかった。

羽田美智子もやさしい感じでなかなかでした。

 

今年の祭りは例年になく人出が多かったそうですが、

天候が良かったうえに2人の俳優によるところがあったのではー

盛り上がっていました。

 

 

さて出発の前ー

行列に出る馬の集合場所が家の前にあるので、例年通り顔を出しました。

大きな生き物を見る機会のない子供たちも混じっていました。

揃って歩行したり、小走り(ギャロップ?)したりしていました。

 

 

走り出したときハプニングがありました。砂埃が上がったなと思ったら、落馬したのです。

しばらくはうずくまっていましたが、やがてゴメンゴメンというふうに起き上がったのでホッとしました。

舞台裏の準備風景もなかなかで、常連もいるようです。

 

 

主役・利家が乗る白馬

| 金沢 | 07:01 | - | - | pookmark |
百万石行列

金沢の百万石まつりは1〜3日行われていますが、メインの百万石行列は今日2日です。このところ雨がちだったのに、晴れています。

行列の出発式は午後2時から金沢駅東広場であり、メインストリートを通って金沢城に入るのは午後4時過ぎとなる予定です。

 

 

 もともと百万石行列に出かける習慣はありませんでした。

2年前に引っ越したところが出発地点から5分のところだったので、いいところどりで2、3の行列を見ることにしています。定点で全部見ると行列の通過には1時間以上かかります。

 

そもそも行列の中身はどうなっているのか、詳しくは知りませんのでパンフレットによりみましょう。こんな感じです。

 

先導隊、音楽パレード、ミス百万石、加賀とび行列、尾山神社御鳳輦(ごほうれん)、子供奴行列、珠姫お輿入れ行列、大人奴行列、お松の方行列、四代、五代藩主行列、加賀八家老行列、前田利家入城行列、赤母衣衆(あかほろしゅう)

 

 このようの盛りだくさんの内容で、加賀とびや音楽パレードなどは所々で演技を披露します。

 

  

初代藩主前田利家と、正妻松の役は毎年俳優がつとめます。

今年は高橋克典と羽田美智子が演じます。

 

利家と松が金沢城に入るのを主催者は「百万石行列入城祝祭」と名付けています。金沢の大概の人は利家は加賀の人だと思い込んでいますが、実は織田信長の家来として金沢に進駐した人物だとの見方もあります。

 

そんなことですから利家以前から金沢にいた人にとっては、「入城祝祭」ではなく、敗戦の日であったのですが。

まあ400年以上のことになりますがー

 

去年の様子

 

 

家の近くには行列に参加する馬の準備場所があって、10数頭が午前中から足慣らしをしています。祭りの後数日は、馬の糞尿の匂いがあたりに立ち込めています。

 

こんなふうに引っ越しでまつりとの接点ができましたので、今日も午後から出かけようかと思っています。

| 金沢 | 00:00 | - | - | pookmark |
6月に入る

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6月は百万石まつり

 

 

6月を迎えると、毎年また6月だなというなにがしかの、あまりよくない思いにとらわれます。正月は別格ですが、そのほかの月にはないことです。

 

6月は私の誕生月、父が亡くなった月ですが、そのために特別な何かがあるわけではありません。

 

会社時代、6月だけはあまりいいことはなかった、逆にあまりよくないことが重なったなとは思い出しますが、それで6月を意識したところは多分にあると思います。

 

それと梅雨の季節だという要因があることは確実です。いまでも天気予報の梅雨前線をみると、恐竜のような恐ろしげなものに見えるくらいです。

 

梅雨入りになると、テレビには降る雨とアジサイの映像が決まって出てきますが、それさえ陳腐なありふれた風物に見えてしまいます。

梅雨にはアジサイが似合うのでしょうが、富士山に月見草が似合うのレベルだろうと思ってしまいます(富士と月見草は太宰?どんな意味の比喩だったか忘れましたが)。

 

6月生まれは多分少ないと思います。小学校でも6月の誕生会の人数は一番少なく、暗い連中が揃っており嫌だった記憶があります。

 

運転免許の書き換えは、ほかの月に比べ人数が少ないので、これだけはすいていてラッキーです。

 

梅雨は嫌いですが、梅雨明け宣言がある日は体も心もスッキリ、1年で最も好きな日なのです。太陽の光線が肌を刺し、セミが一斉に鳴きだします。

したがって夏は一番好きな季節でしたが、年とともにこたえるようになり、好きなのは梅雨明けの日だけとなってきました。

 

6月が嫌なのは祝日がないというのもありますが、やはり梅雨があるからということになります。

 

梅雨入りが嫌で梅雨明けが一番好きだとなると、ひと月余の間に株価の年間の高値と安値が接近しているようで、ちょっといびつなチャートを形成していることになりますかー

 

 

樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ  日野草城

 

六月の万年筆のにほひかな  千葉晧史

 

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| 俳句 | 07:00 | - | - | pookmark |
現代語訳『三州奇談』 その10「高雄の隠鬼」

 

 

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堀麦水の『三州奇談』は、近世中期に成立した加越能の奇談集です。

月に1回ほどのペースで掲載しています。

今回はその10「高雄の隠鬼」(巻之三)の現代語訳です。

 

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高尾山は富樫政親の城跡で、その麓には四十万の里があり、後は黒壁といって、今も人をたぶらかす魔物が住む所としいわれ、日が傾くころになると樵も近づかない。黒壁には数百丈の絶壁に不動尊が刻まれており、それは人の技でできるものではない。

ここでは芝を刈り、落ち葉を集めているうちに異人にであい、時々命を落とすものがある。

 

高尾山には、また不思議なひとだまがでて、これを里の者は坊主火という。狩人が古狸の大入道となって以来、このひとだまがなくなったということがいわれることもあるが、今もなお、このあたりでは海辺までひとだまが飛ぶことが絶えない。これがどういうことであるのかは、誰もわからない。

 

ある人がこの山について言うには、山上には穴が多く、間違って落ちた時には、近くの道に来る人を呼び止めて、縄を下してもらって上がるという。

 

たまたま人通りがない日に落ちてしまった者があった。穴の中にまた小さな横穴があったので、しかたなくこれを進んで行くと、十日ばかりもかかって闇の中をくぐりぬけて、越中と飛騨の国境、庄川の岸の絶壁にでたものがあった。

 

やがて金沢に帰ってきたが、あの世からよみがえった者のようになっており、何があったのかを尋ねてみたが、ただ闇の中を歩き回ったというばかりで、ほかにこれといった話はなかった。これも不思議な事である。

 

この麓は四十万という村である。浄土真宗の道場があり、善性寺という。このあたりの大寺で蓮如上人の旧跡である。

この寺の後ろに大木があり、中が空洞になった大樹があった。およそ三十人ばかりを中に隠すことができる。近年乞食が住みついて火を焚いたので、木は枯れてしまった。付近に人家はそんなに多くはない。天正の頃の戦地として名高いところである。

 

 

享保年間、金沢浅野川下流に弥助という猟師がいた。弥助は、いつも朝の霧を払って山野を走りまわり猟をして、日が沈んでか家に帰る暮らしをしていた。いかに職業としてやっていることとはいえ、朝な夕なにものの命を絶ち、自分の電光朝露のようにはかない身を愛するばかりで、来世での永劫の罪を恐れなかった。

 

堪えがたい暑さもいつしか秋風にかわり、文月の魂祭りの頃となった。今日は十三日で、とりわけ大事な先祖を待つ日・盂蘭盆であった。身分に関わりなく家ごとに灯をともし、香花を供え読経をして追善する日であるのに、この弥助はそれどころか、今朝も猟に出かけた。起きる時間を間違って窪の橋にかかるころは、まだ午前二時頃だった。

 

月は明るく西の空にかかり、雲が気のめいるようにかかり、さびしげな猿の叫び声が遠くに聞こえ、松風の音だけがして、橋の上には人の声はなかった。

向こうの方を見ると、左には高尾山の麓が、右は小松が群れ立ってほの暗かったが、そこに年のほどなら四十ばかりの女と、もう一人十八,九と見える女が白い衣をつけ、長い髪を乱して、往来の傍らに座りこんでさめざめと泣いているではないか。弥助は怪しいと思ったが、帰り道ではなかったので、恐る恐る近づいて、何者であるかと問いかけたが、それには何も答えなかった。

弥助はすこし足早にそこを通り過ぎ振りかえってみると、間近まで追いかけてくるので、やむを得ず額谷をも走り過ぎ、知り合いである四十万の里の道場にやっとのことで逃げ込んだ。しかしここまで追ってきたはずの女は跡形もなかった。

 

夜が明けて里の人に以上のことを話すと、「そんなことがありました。毎年七月十三日になると、必ずそのような女がでて、出くわす人が少なくありません。古老が言うには、昔鏑木六郎右衛門というものが松任の城にいた時、一揆のために一門が悉く滅ぼされてしまいました。この道場・善性寺の先祖は法教坊といって、一揆方にあってその戦いにかかわっていました。このためかの鏑木の妻の怨念があって、いまもこの寺に来るのではなかろうか、くだんの女はこのため、出てくるのではないかと里人は語った。

 

 

 

話変わって、これも享保の頃、加賀の医師奥田宗伝という人が、ある夜松任に往診があって駕籠を走らせていたが、その帰りは夜半過ぎとなった。帰り道のこと、路の脇に七、八人が並んでおり、駕籠を用意しており、宗伝の駕籠を押しとどめてこう言った。

 

「我らは四十万村の何某という者ですが、老父が急病にかかって、今夜にもどうかという状態となっています。お宅までお迎えに伺ったところ、松任にお出かけとのことで、すぐにそちらへ迎えに行ってくださいと言われましたので、ここまでやってきたわけです。

そんなわけで申し訳ありませんが、これからすぐこの駕籠にお乗りになって、回診して下さいとひたすらにお願いした。宗伝が見知っている人ではなかったが、医は仁術を旨とする医師であるので、聞き捨てることもできず、松任の人は帰して、彼らの駕籠に乗り換えて、四十万の方に向かった。

 

さて四十万村に着いたが、今思うと怪しいことが多くあった。日頃は見かけない大きな家、いかにも庄屋と思われる家に入った。

そこには多くの男女が騒々しく動きまわっており、いくつもある部屋の一番奥が明るく輝いていた。そこが病人のいる部屋で、寝床の臭気は耐えられないほどであった。

 

寝ている男は六十ほどで、丸々と太った親父であった。男の顔は絹の布で包んであり見えなかった。脈をとってみるとたいそう早く、刀などの金属で受けた傷の類と思われた。

きっと、自殺をしそこなった者に違いないと思い、これは外科医の分野であるのでと、わずかに貼り薬を与えただけであった。

宗伝が金沢の家に戻った時はまだその日の夜のうちであった。駕籠かきや付き添いの者は懇ろにお礼を言って帰ったが、衣服に着いた臭気は長い間消えなかった。

 

奥田氏はその翌日、お礼の人が来なかったので、疑いが晴れなかった。そこで人に頼んで様子を聞いてもらったが、四十万にはそのような病人はおらず、そのような家もないということだった。

 

奥田宗伝は、狐狸に化かされた一件を、ことあるごとに得意そうに話すのだった。

 

 

 

「高雄の隠鬼」(巻之三)は、金沢城下の南東の地域に伝わる奇談の数々である。

これは『三州奇談』濃縮したような一編で、多彩なかたちの不思議を味わうことができる。

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