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中世の城 絵図
全国的にお城ブームらしい。かつては姫路城など国宝で形の麗しい城が人気だったが、いまは土塁や堀のあとだけがかすかに残っている山城に人気が及んでいるという。
この「お城ブーム」に乗って、能登の国指定史跡「七尾城跡」(石川県七尾市)は、戦国時代屈指の巨大な山城として観光客の注目を集めている。
石川県七尾市にある七尾城跡の観光客は、4月から数千人を越えるという。地元メディアより中央の情報によって、七尾城のひそかな人気ぶりを知った。巨大で急峻な城は、山登りをする感覚だったと覚えている。
七尾城は天然の要害として軍事的機能を備えていた役割に加え、重要な政治支配機能を担える環境に立地していたのである。
戦国期末の七尾城主・畠山義総のもとへは多くの公卿・歌人・連歌師・禅僧など京都の文化人たちが相次いで下向しており(七尾市史)、独自の文化を形成して、七尾城は金沢にさきがけて文芸活動の拠点として栄えたのである。
山城は規模がそれほどではないことが多いが、七尾城は巨大な山城であり、本丸の標高は305mである。中学生のころに行ったが、ちょっとした登山であった。
戦国時代に上杉謙信がここを攻め滅ぼし、その後は加賀藩祖の前田利家が城主になった。日本100名城や日本5大山城の一つに数えられ、自然石を使った野面積みの石垣が残る。ここには歴史的なロマンが形として残されている。
謙信は漢詩「九月十三夜」で、「越山併あわせ得たり能州の景」と詠んで絶賛したといわれ、本丸から七尾湾を望む眺めで一献傾けたらしい。
本丸への道には急勾配のところもあり、堀切り跡、二の丸跡などを歩くには1時間以上はかかるが、首都圏からの観光客には見晴らしがいい、自然が豊かだと好評である。泊りは七尾からすぐに和倉温泉がある。ここは万葉の世界である。
現地では観光ガイド・「はろうななお」が案内してくれる。
3年前金沢で山城のシンポジウムがあり春風亭昇太がパネリストとして参加していた。もちろん「笑点」の司会になる前のことである。
城、とくに山城が好きだというが、最近は歴史のテレビ番組にも出ており、なかなかーパネリストととしての城に関する発言も素人離れしていた。
この昇太が七尾城跡を見たらどんな感想・反応を見せるのだろうか、みてみたい。