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名古屋城エレベーター見送り

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5月末、石川県の地方紙「北國新聞」に小さなベタ記事がありました。

 

名古屋城エレベーター見送り

名古屋市は30日、木造復元する名古屋城天守閣へのエレベーター設置を見送ると発表した。障害者団体は設置を要望していたが、史実に忠実な復元を強く主張する河村たかし市長意向を反映した形(略)

 

名古屋の新聞の扱いは大きかったと思いますが、城の忠実な復元とは何かを考えさせられるニュースです。

 

 

金沢城石垣

 

去年、滋賀県立大学の中井均氏の「城の復元は必要か」という講座を聴く機会がありました。名古屋城エレベーター見送りの記事を目にして、その時の講座を思い返しました。

 

その時に名古屋城の例が出てきたのですが、当時名古屋城では、鉄筋コンクリートの天守閣を解体して、木造で復元することを検討中でした。その後議論があった末、木造に決まりました。

 

その議論とは、金はかかるだろうが木造なら本物だから歴史的にも価値があるので、金の工面がつけば木造にすればよいのではないかと、そういうのがあったそうです。私などもそんなふうに漠然と考えていました。

 

ところが中井氏は、鉄筋コンクリートが偽物というのであれば木造もまた偽物なのである(本物ではないという意味で)。

それは本物の模型であり、1/1の模型は、はたして必要なのだろうかと。

 

いわれてみれば木は本物・コンクリートは偽物という前に、後世に建て直したものは、すべて本物の模型といえるものだったのです。

 

さらに鉄筋コンクリートに寄せた先人たちの思いは、安価で簡易だからそうしたのではなく、二度と燃えさせてはならないとの強い思いがあったからでもあるとします。太平洋戦争で焼失した名古屋城は、そんな思いをもつ市民らの寄付で再建されたのです。

 

住民のシンボルとしてのかけがえのない天守閣の先例もあります。

大阪城の復興天守閣は昭和6年に大阪市民に寄付により造営されて86年、国登録文化財に指定されました。鉄筋コンクリートであっても、時の経過とともにやががては国登録の文化財に登録されることになったのです。

 

 

日本で創建当時からの姿を残す歴史ある城は、国宝5城(重文7城)にすぎません。

城の数は200〜300あるとされていますが、主として戦後に再建された城は、先の定義でいえばすべて模造、もしくは模型ということになります。

 

特に城のシンボルは天守閣ですが、それを建て替える、または部分的に手を加えるとなると、模型であっても慎重に慎重を重ねなければならないことになります。本物に近い模型をつくろうとなります。

 

 

ひるがえって金沢城をみますと、天守閣は創建後早々3度火災にあって、その後は天守なしで経過しています。

木造で復元されているのは五十間長屋や河北門などいくつかに建造物です。すべて木造の本物志向であり100年後の国宝を目す指すというスローガンがあり、また大工の工法を未来に継承するためとの大義を聞いています。

 

 

しかし中井氏の話を聞いて、名古屋城などだけでなく金沢城の復元作業をどのようにみたらよいのか、そこに批判的に見る目もでてきたような感じがします。ただし観光という面では、金沢城の建物の果たす役割は文句なく、訪れる人も多く気持ちのいい景観を作りあげています。

 

観光と割り切れば本物も偽物もないようでなのです。

 

城についての知識をさほど持つものではありませんが、名古屋城とエレベータからいろんな方面に思いが広がりました。

城を見る面白さを一つ、講座から教わりました。

 

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