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「終の住処」、辞書には終生住んでいるべきところ、最後に住むところ、死後に落ち着くところとある(広辞苑)。
去年の5月に金沢の城下の周縁部から金沢駅そばに引っ越したのだが、それは終の住処を求めてのことであり、辞書でいえば最後に住むところの意味にあたる。この場所で人生の終わりの期間を楽しみたい、そんな気持ちがあったのだ。
だが結果的にもう一つ意味があり、それは徹底的な身辺整理をしたということであり、人生にひと区切りをつけたということに、この頃気付いたのだ。
人生の終わりにしなければならない仕事の一つとして、自分がかかわった品物の始末は自分で処理する責任があることだ。一定期間住んだ家には理由はともあれ膨大な量の、不要になったモノがあふれている。親の代から持ち越されたモノの処理で頭を抱えている人は多くいる。
ここでいうのは、自分の趣味で集めたもの、作ったもののこと。書籍や研究ノート、額に入れた絵や写真、陶芸教室で作った茶碗などのことで、かさばる上に子供にとっては何の価値もない粗大ゴミだ。そんなものを残された段には、子供は大迷惑する。その始末を子供の世代に委ねるのは無責任と言える。
ただし旧家の土蔵は江戸期からの遺産であり、その家のいわば正倉院である。土蔵ごとそのまま残して、次の世代に先送りしてもなんら問題はない。お宝だから。
我が家では10LDKの大きな家から狭小住宅に移るにあたって、必要に迫られてやった。実は実行したのは妻であり、取捨選択はすべて一任した。言葉では言い尽くせない膨大な量で、さらに思い出を処理することでもあり、妻は神経を使い、引っ越しが終わり落ち着いたころには、体力・気力の限界だった。とにかくこれで子供の世代に迷惑をかけることはなくなったのだ。
引っ越し前の家
シンプルな暮らしとなった。あれだけあった大量のモノは自分にとって何であったのか、考えてしまう。ほんの一時衝動的に欲しいと思ったものがほとんどのようだ。ただしその無駄は人生に彩を添えてくれたことは間違いない。
結果、自分にとって本当に必要で大切なものはなんであったかに気付かされた。
だがこれでお終いではない。生きていればやがてどこかの施設の世話になることになる。認知症に悩んだ母は、10年近くをそこで過ごした。そこは決して入りたいところではない。
老いに覚悟をもって、少しずつ向き合っていこうとよく言われるが、なかなか向き合う覚悟などできるものではない。しかし、やがてその時期はやってくる。
漱石は禅寺に行っても覚悟はできなかった。覚悟を決めることは至難の業だ。