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軍都金沢の?

JUGEMテーマ:気になること

 

明治維新のあとの金沢は、軍都となった。明治8年(1875)には歩兵第7連隊が設置され、金沢城二の丸御殿に連隊本部が置かれた。

そのあと明治31年(1898)に第9師団が設置され金沢城内に司令部が置かれるなどした。

         

そんな話を何度も聞いたが、この連隊と師団とはどんなものか、どこが違うのか理解できないままだった。私より上の年代はわかっているし、同年代では、興味のあるものが知っている程度だったようだ。調べようと思いつつ今日まで来てしまった。

 

辞典をみるとこうあった。

<聯隊>

軍隊の部隊編制上の一単位。旧日本陸軍では、旅団の下、大隊の上にあって、二個、また三個大隊で組織し、歩兵・騎兵・重砲兵・野砲兵連隊などに分けていた。二個ないし四個連隊で旅団を構成する。

 

<師団>

陸軍の常備的な編制をとる最大の部隊で、ある程度の独立した作戦行動のとれる諸職種連合の作戦部隊。

 

ふむふむとは思うが、両者の関係、軍隊での位置がわからない。

調べるとこんなのもあった。少し長いがそのまま引用する。

 

 陸軍の部隊は、平時にあっては師団を最大単位として編成された。師団数は1916年に21個に達したが、大正末期の軍縮により17個に減少した。その後37年の日中全面戦争を契機として急速に拡大され、太平洋戦争開戦時は51個となっていた。

 師団の上位には戦時・事変に際し軍、さらにその上位に方面軍が設けられた。例外として朝鮮、中国(満州)には権益確保のため朝鮮軍と関東軍が平時にも配備されていた。

 

まだよくわからない。もう一つには陸軍の組織が記されていた。

軍は上から、軍団、師団、旅団または連隊、大隊、中隊、小隊、分隊、班、組とあるとあった。

師団は1万人ほどで構成され2〜4の旅団または連隊があり、指揮官は中将または少将。

旅団・連隊は2千人ほどで構成され、指揮官は大佐であった。

(構成人員・役職には違いがある場合がある)

 

少しわかったように思えるが、まだまだ奥がある。しかし永らく自分のなかで放置されていたことに突っ込んだことを、ほめるべきか。学生のころこんな気持ちがあればーーときすでに、である。

 

 

 

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