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マドンナ美禰子の謎

 

漱石、今年の読み初めは「三四郎」だった。

何回も読んでいても、その都度面白いところがみつかり、何かを発見したりして面白がっている。

 

明治41年の作品だが、独特の文明批評が展開されるのが面白く、随所に出てくる本郷近辺の地名も懐かしい。本郷の岡に対し春日通りを挟んだ小石川台に4年間住んでいたことがあるので、なじみの町が次々に登場してきて、若き日の思い出がよみがえってくる。

 

 

話としては、「坊ちゃん」は中学校が舞台だが、「三四郎」は大学(東大)を描いており、「坊ちゃん」の大学版といえる内容と受け止められるかと思った。

 

小説を読んで、今回取り上げようと思ったのは、「現代人は事実を好むが、事実に伴う情操は切り捨てる」ということ。

 

それはこうである。

 

その証拠は新聞を読むとわかる、社会記事は十の九まで悲劇だが、我々はこの悲劇を悲劇を味わう余裕がない、ただ事実の報道として読むだけとして、二つの例を挙げている。

 

まず、自分がとる新聞は、死人十何人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行っづつ書くことがある。簡単明瞭の極―

 

また泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒が入ったかわかる泥棒欄がある。これも至極便利―

 

そうしたタイトルを付けた欄があるということは、当時、変死や泥棒がそれだけ多かったからかと思うが、それにしてもそんな新聞を実際に一度見たくなってしまう。今でいうと地方紙にある死亡欄に相当するものだろうかー

 

小説の筋とは別に、このようにして拾い出すと明治の世相が垣間見えて、興味が広がる。

 

もちろん、これは青春小説であり、私の年代にとっては過不足ないロマンが漂っている。

 

それにしても里見美禰子というマドンナの謎は、今回も結局まだ解けないままに終わった。

 

 

 

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