2019.06.20 Thursday
スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
| - | | - | - | pookmark |
金沢大学は戦後の、1949年から金沢城内にあった。世界でも珍しい城内のキャンパスには友人たちが学び、石川門をはじめいくつかの門から通う学生の姿があった。金沢のまちには随所に学生が集い、活気にあふれていた。
それが後者の老朽化や手狭になったことことから、城から4キロほど離れた角間という谷あいの山中に、1989年の文学部・法学部・経済学部から順に移転した。
金沢のまちからは隔離されたようになり、市民と触れ合うことはなくなった。角間の学校から1キロほど離れた町は若干賑やかになったが、金沢中心部から離れてしまったのには、学生にも市民にも残念なことであった。
かわりに付近にはクマが出没したというニュースが先日もあったが、シャレにもならない(もっとも数年前、城内でクマが捕獲されたが)。
偏差値がどれくらいかわからず、それとの関係があるかは別として、金沢大学の出願者数は、隣りの富山大学の人気に比べると思ったほどではない。
お城のキャンパスから山中のキャンパスとなった影響は大きく、立地の他に新たに大学の魅力を創造することは至難である。今の金沢城跡を考えると、もしそこに復元された長屋や門のかわりに大学があったならと思わざるを得ない。
せめて大学があった記念に、アカデミックな情報発信の拠点なりができないかなと思うが、残念ながらできないだろう。
JUGEMテーマ:気になること